ネガフィルムの化学修復
Chemical restoration of negative film
リボテックの化学修復の歴史は、ネガフィルムの銀カブリ除去と言う難題の解決から始まった。埃や汚れを取り除くことはできても、銀汚染を取り除かなければ正確で美しい写真としての再現ができないことは自明の理であり、銀汚染を取り除かないかぎり印画プリントは無理である。
1965年、資生堂創業者であり日本写真会創立者 福原信三氏のネガフィルムからニュープリントを造ることを依頼された日本写真会副会長 村林忠が研究を始めた。
このネガからのプリントは、日本を代表するプリント会社でもできず、最後の望みとして戦前の福原氏のプリンターであった村林へ日本写真会からプリントの依頼があった。
しかし、銀汚染がネガの全面に現れ、満足なプリントを造ることはできなかった。
大学で写真化学を学んでいた息子 孝夫と研究を重ね、通う大学の宮本五郎教授の指導を受けるも、世界的にも化学修復に成功した事例はなく未知の部分が多く、遅々として研究は進まなかった。
1969年、企業秘密の部分があるので、何がきっかけで発明できたのかは話せないが、ある失敗がヒントになり、銀汚染の除去に成功する。
現在横浜美術館等に残されている福原作品は、この化学修復により銀汚染が除去されたネガから、福原氏生前のプリンター村林によりプリントされたものなので、オリジナルと寸分変わらぬクオリティで再現された。
この技術の開発により、福原路草氏のネガも化学修復されニュープリントが造られ、福原兄弟作品の再評価のきっかけになった。
1984年、日本を代表するプリンターでも出来なかった小石清氏のネガが持ち込まれ、このネガを化学修復し、つくば博の「つくば写真美術展」に3点のニュープリントが展示された。
正確な印画紙プリントを造るためには、銀汚染の化学修復が必須であることがわかった。
デジタルでの再生では参考画像は取り出せたとしても、銀塩写真と言うクオリティでの再現はできず、そこには写真本来の印画紙による緻密な美しさも望めない。
使用する薬品は通常の暗室作業で使用されるもので、毒物等環境破壊の恐れのある薬品も使っていないので、自然環境保全の分野でも特筆される。
写真史料として写真を遺す時は、デジタルではなく、化学修復により正確な情報が取り出せる方法を選ぶべきだと断言する。
化学修復で再生されたネガフィルムは,50年後の現在劣化も変質もみられず、正常な状態で保存されていて、余分な銀も除去されたため今後の劣化も考えられない。
ネガフィルム提供/箱根強羅 島写真館