東北大学大学院文学研究所所蔵
「常盤大定旧蔵ガラス乾板」化学修復の軌跡
2013年8月
東北大学大学院文学研究科大野晃嗣准教授からガラス乾板を綺麗にできないかとの問い合わせがあった。
2013年9月
株式会社リボテックから村林眞叉夫、村林孝夫の両名が東北大学を訪れ、図書館に一時保管されていたガラス乾板を調査。何十年もの間、物置の中に放置され、チリやゴミにまみれたガラス乾板が並んでいた。
それは中国仏教史研究の先駆者常盤大定が約100年前大陸で撮影したガラス乾板各サイズ約千枚で、汚れと劣化を取り除いて欲しいとの依頼であった。
未整理だが調査すると、銀汚染、カビやバクテリアによる劣化、破損など劣悪な環境下での保存が予想され、その状況を報告した。
ガラス乾板はネガだけではなく、ポジのものもあり、作られた年代が違うものも混在しているように見受けられた。
一部の銀汚染されたガラス乾板と数枚が固着したガラス乾板をリボテック大森研究室へ持ち帰り化学処理をし、銀汚染の除去、ガラス乾板六枚の剥離に成功した。処理は満足のいく結果が出せ、大学での常盤大定研究も大きく前進できる予測も出てきた。
調査報告後、経費などの見積もりに関して話し合ったが、予算を確保できてから作業に入るということで決まり、その前に大野准教授、齋藤准教授、渡辺専門研究員によるガラス乾板の整理業務を行うことを打ち合わせした。
2016年2月
NHK BS放送「NHK World」にて株式会社リボテックの取材が決まり、ペンディングになっていた東北大学でのガラス乾板化学修復プロジェクトとして仙台の川内キャンパスで、ガラス乾板化学修復の模様を取材され、4月に両極を除く全世界へ向けて放送された。
2016年8月
ガラス乾板という非常に壊れやすい材質を安全に運搬するには、膨大な経費がかかることと、リスクマネジメントを考えた時、NHK World での取材経験から、現地での作業が適していると判断し、東北大学川内キャンバスの文学研究科研究棟にて作業することを決め、8月1日から三日間仙台に滞在し初めての本格的化学修復作業に入った。
作業部屋は元教授の研究室、空室で物は全て撤去されていた。残された作り付けの書庫等も震災からの経験で充分な補強が行われ、倒れ止めなどの処置もされ、キャビネサイズのガラス乾板を処置するには充分すぎるくらいの大きな木製の机も二つ用意されていたので、安定性と作業面積を確保することも容易にでき、安全に作業を進める環境を確保した。
作業の手順は、まず一枚ずつ整理され紙袋詰めされたガラス乾板を化学修復発明者の村林孝夫が調査。
その調査票にはサイズや劣化の状態、傷等の有無など十数項目を記録、その後ガラス面の清掃、特別に開発した薬液を、レンズ拭きに使う超極細繊維を使ったクリーニングクロスに浸し、手作業で拭きあげて行く。これは綿棒や脱脂綿では繊維が残ったりする為に考えだした方法だ。
劣悪な環境での保管だったので、ガラス面にも色々な材質の汚れが付着していたので、全てを一定した作業で行うことはできないが、拭きあげる方向は一定の方向で行い、汚れの除去は満足のいくレベルで収まった。
このガラス面作業は村林眞叉夫が主に担当した。
次に乳剤が塗布された膜面の処理に入る。こちらはガラス面と違って最大の注意が必要だ、よって熟練した技術部長の村林孝夫が担当した。
膜面が剥がれかかったり、亀裂が入ったり作業が困難なものもあるので慎重に扱うが、調査時点での記述を基に判断し進めた。
銀汚染の除去と同時に表面に付着した汚れなどを独自に開発した薬液を使い、コットン繊維で拭き取って行く。強すぎず弱すぎず、一定方向へ向かっての作業で、時間と忍耐力が必要で時間のかかる作業だ。
カビに侵食された部分は、この作業を行うと剥離してしまうことが予想されるので、あまり手を加えず、カビ菌の死滅を目的とした処理をして増殖を予防し乾板を守る。
これは画像を失わない範囲での作業となる。
乳剤剥離に関してはゼラチンを使った再接着という方法で、あくまでも現物を綺麗な状態で残すことを考える。
2017年11月
作業中には今まで見た事のない状態のガラス乾板も混ざっていた。
膜面と支持体であるガラス面の間に現れる二色カブリ、文献によると「光によるカブリとは異なる化学的なカブリの一種で、乾板やフィルムの現像や定着処理中に、微細なコロイド銀が乳剤面に付着することによって生じるもの。透かして見ると赤褐色に、また光に反射させると黄緑色の汚染状に見える事から、二色カブリと呼ばれるようになった」と説明が有ったが、現物を確認したのは初めてで、でも現物を見ることが出来たので、今後の修復法へ発展させて行けるのではないかと思った。
そして数多くの重なり固着した乾板の多さにも驚かされたが、これは日本の湿気が原因だと思われ、乾板や紙類を重ねて長年置く事で起こった現象であると推測、剥離作業を行う方向で考え、これらは研究所へ一旦持ち帰り東京での作業となった。
元来このまま固着状態で保存しても史料としての価値が望めないので、剥離することを前提に進めてきたが、全ての固着した乾板を剥離することは出来ないことも分かった。
なぜなら間紙が挟まり固着したものは、その紙に乳剤が転写し、ガラス面から画像は剥離していた事実も分かり、このように画像が安全に取り出せない事も確認できたので、以後の作業に関してはより以上慎重な調査を行い、剥離できるものと出来ないものを確実に分けて作業に臨んだ。
調査後約30%のケースについて剥離が可能だと判断し、それらは分離作業を行なった。
小さく複数枚に別れたものや、大きく二枚に割れたものなどまちまちだが、それらを集合させ貼り合わせることが可能なら、多くのガラス乾板を現物保存として助けられることにも気づいた。
現在接着に関して研究中だが、小さく欠けたカケラは軽いので、現在テストしている方法で接着が可能だが、大きく二つに割れたものはそれぞれの重量に接着剤がもたずに、一度接着されても手に持つと剥がれてしまい失敗に終わる。
接着するには、その他の方法も考えられるので、今後の研究課題として成功へ向かった努力を重ねるしかない。
全てのガラス乾板は薬品による作業後、それを乾かし、国産中性紙製の包材で保護し整理番号を記入、調査票と共に中性ダンボール紙製の保存箱へ入れて保存した。これが一連の作業工程だ。
デジタルアーカイブに関して、現在はスキャナーでの読み込みが主流となっているようだが、大量のガラス原板の作業場への持ち込みによる破損のリスクが心配だ。
またスキャニングには高度な専門知識と技術が必要だと言っているが、ガラス乾板は本来そこから紙焼き写真を取り出すためのものであり、ガラス乾板を高度にスキャニングする予算が無駄であると我々は考え、ネット上で一定程度の画像情報を提供するのであれば、ライトテーブルを使った高性能なデジタル一眼レフカメラで複写し情報化するか、修復したガラス乾板から本来の手順により密着紙焼きを作り、保存することも同時に提案した。
デジタルはあくまでも複製物で有り現物ではないので、その価値を考えた時スキャニングで大きなお金を支払うと言うことは、本末転倒だと考えた。
複写という方法はフィルム時代からの写真の大きな利点であったからだ。
ガラス乾板のアーカイブ化は、クライアントのことを考えた時、低コストでそれに当たることは、文化財保護の観点からも利があると考える。
今後は修復作業を続けながら、新しく発見された劣化や割れを接着する方法などの研究を重ね、より以上の成果を出せるように努力し、現物保存という道を世界が歩けるように、努力を重ねるつもりだ。
ガラス乾板を文化財とする為には、写真に対する敬意を払い、現物を復元・修復し保存、乾板から紙焼き写真を作り閲覧できるようにしていく事を、声を大にして訴えて行く覚悟だ。
「未来のことは判らないから今、オリジナルを大切に保存し、次の世代へ贈ることを提案する」
(ガラス乾板提供:東北大学大学院文学研究科)